琺瑯看板について

  

<satopi君 琺瑯に目覚める>
 幼稚園の年長時代後半、しきりに「ホーロー、ホーロー」という言葉をsatopi君から聞くようになり、初めはいったい何のことやら解りませんでした。
 道路標識がもっと小さいときから大好きだったsatopi君は、トミカというミニカー集めも好きで、そのセットにおまけで付いているミニ道路標識を並べては悦に入っていたのが幼稚園年少から年中の頃です。リビングの床は、トミカのミニカーやトミカのタウンセット(ファミレス、交番、工事現場、ガソリンスタンド等のミニタウン)、そして道路にミニ標識が所狭しと並んでいました。そのうち、エムズコレクション社のストラクチャーキット(古い家や建物の模型)に行き着いたようです(母親のナビゲートのもと?)。そして、その古い時代の建物模型(制作は母親実家のおじいちゃんのお仕事)の壁面を飾るべく、同社のトレインマークというシリーズの琺瑯看板シールも同時購入しました。satopi君は模型の壁面に、様々な琺瑯看板のシールを切り取っては貼り、大層喜んでおりました。
 
また、このころと同時期に、Webでの看板探索も始まり、「壁からのメッセージ」「れとろ看板写真館」「なつかし看板堂」などのメジャーどころをはじめ、「琺瑯」ということばの検索にかかるサイトを片っ端から(ちとオーバー?)閲覧していたようです。
 それでも、satopi父はあまり気づきもせず(satopi君とsatopi母がネットサーフィンをしていたため)、「なんか標識以外にもこだわっとるみたいだのう・・・」くらいにしか思っていませんでした。
 しかし、Web探索だけでは飽き足らなくなったのか、当時恒例の休日道路標識探索のメニューに、幼稚園年長後期から琺瑯看板探索も加わり、次第にその比重を標識→看板へとシフトしていきました。今では、ドライブに出かけて琺瑯看板は撮影しても、道路標識はよほど珍しいものでないと関心を薄れさせているようです。
 いつまで看板への興味が続くのか解りませんが、のんびりと見守っていきたいと思います。
(2003年9月16日) 
<琺瑯看板について>
 単なる鉄製の看板と琺瑯看板の違いは、その耐久性にあります。日本琺瑯工業会のサイトを訪れると、琺瑯技術の歴史からその製法まで、実に様々な知識を与えてくれます。エーゲ海のミコノス島発の技術は中東から中国を経て、飛鳥時代には日本に伝わっていたそうです。そして琺瑯が装飾としての七宝から分かれて独自の道を歩み出したのは明治になってからのことだそうです。(詳しくは、ぜひ上記サイトをご覧ください)
 錆に弱いが強度のある鉄と、強度はないが腐食に強いガラスを組み合わせた琺瑯看板は、耐久性に優れた広告塔だと言えます。昭和時代を代表する、街道アートとも考えることができます。
 satopi君が、この今となってはレトロなものに惹かれる理由は判然としませんが、子どもの感性に訴えるデザインや質感があるのでは・・・とも思っています。
 satopi君お気に入りの大塚系琺瑯看板は、原田琺瑯製作所で製作されましたが、琺瑯のことについて興味を持たれた方は、こちらのサイトをご覧になることもおすすめします。
(2003年9月16日)
<琺瑯看板探しの旅>
 旅というと大げさですが、せっかく看板探しのドライブに出かけるのだから、その日には少しでも収穫があるといいなと思って出かけます。satopi君は高松市在住ですが、本当にこの頃は市内では琺瑯看板にお目にかかれなくなってきました。県内では、これまで中讃から東讃を中心にドライブしており、たまに西讃にも出かけます(狭い香川県ですが、こちらでは県内をおおざっぱに東・中・西に分けてこのように呼んでいます)。とにかく、行き当たりばったりをモットーにしておりますので(?・・・というか、情報がないため闇雲に行くしかないのです)、車で走り回って見つけたらラッキー、という具合です。
 そして、時たま、海外遠征にも出かけます。昨年度は、滋賀・京都への旅行(主目的は滋賀にある並列可の道路標識を見に行くこと)、また県内ではありますが小豆島探索もしました。海外ではありませんが、県境をすぎた徳島県脇町にも行きました。本年度は、夏休みの終わりに、海を渡って岡山県に行きました。岡山放浪記は近いうちにアップする予定です。
 今後の課題は、地元の洗い直し(高松近辺と木田・香川郡、さぬき市あたり)、西讃地方の開拓、県境の日帰り可能なエリア探索(徳島市・鳴門市・新居浜市あたりか?)かなと思っています。
(2003年9月16日)

  

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